はじめまして!
ふじぱんです。
このブログをご覧いただき、ありがとうございます!
28歳、5年半で転職を繰り返し4社経験。
勢いで会社を辞めたものの、スキルなし&キャリアに迷走し失業保険申請中の無職。
そんな完全キャリア迷子になった私が、
なんと3.5ヶ月で40万円に達成し、副業予定がフリーランスへ!
今では朝はゆっくり起きて、カフェで音楽を聴きながら
SNSを仕事にして理想の生活を実現しています。
でも正直ここに来るまで、挫折や逃げの連続。
5年半で4社転職してるので…笑
・転職歴が多く、次の仕事に悩んでいる
・結婚や出産への希望を持ちながら、人生のキャリアで悩んでいる
・フリーランスに憧れるけど何からすればいいかわからない
そんな方向けに
私が歩んできた道のりや具体的なステップ、そしてフリーランス事情を踏まえて
リアルを発信していきます!
気になる方はぜひブログを読んでみてください!
基本情報
名前:ふじぱん
性別:女
生まれ:1996年(19卒)
職業:在宅フリーランス(元エンタメ社員)
MBTI:ENFJ(主人公)
好きな食べもの:ハンバーガー、ピザ
趣味:映画、ドラマ、フィルムカメラ、ホットヨガ
好きなドラマ:「silent」「地味にスゴイ! 校閲ガール」「僕の姉ちゃん」
好きな映画:「ハケンアニメ」「Codaコーダ あいのうた」「茜色の焼かれる」
幼少期〜中学時代:順風満帆な人生スタート
東京23区の長女として生まれ育ちました。
両親にたくさんの愛を受けながら、何不自由ない生活。
放課後は…
ピアノ、バレエ、水泳、書道、お絵かき、塾と、毎日習い事三昧。
スケジュール帳に書いたら、おそらく真っ黒になるような
パワフルな生活でした。
成績は基本4か5。勉強意外、大体のことはクラスや学年で表彰され
学級委員長、生徒会副会長に立候補とクラスでも目立つタイプ。
テレビは当時から大好きで、小学1年生の頃から
夜ご飯はバラエティがお供、ドラマを週8本見たり、新聞の後ろページにある
「今日の番組表」を見るのが楽しみな子供でした。
楽しいことが大好きで、明るく活発、親にも迷惑をかけない「THE優等生タイプ」な幼少期だったと思います。
高校時代:人に心を閉ざす海外生活
高校受験が終わったタイミングで父のハンガリー転勤が急遽決定。
共学校の入学が決まっていたものの辞退をしそのまま家族と共に東ヨーロッパに…。
↓ハンガリーというとこの辺りが有名
・ドナウ川
・ヨーロッパ最大規模の温泉
・ルービックキューブが生まれた国
当時、上の写真のような画像を見て
「おとぎ話の世界みたい!」と日本の高校を諦めたことより、
この夜景を見て過ごせることへの喜びでいっぱいでした。
でも、、 現実は違いました。
アメリカンスクールに入学しましたが
中学生レベルの英語力しかない私にとって、Wikipedia並みの文字だらけの資料を用いての授業に到底ついていけません。
同級生たちは同じ国同士で集まり、日常の会話すら入れない。
日本人は… そう私だけ。
毎日英語の勉強や、授業の予習復習をしリーディングは徐々にできるようになったものの
スピーキングが一向に上達しない。人と話すのが怖いと思うようになっていきました。
お昼ご飯は毎日1人。
ディスカッションができないので、教室は自分が座った席の周りだけ綺麗に4方向ガラ空き。一言も話さない日がほとんどでした。
毎日生きてる心地がせず、インスタを開くと同級生たちの体育祭や文化祭の投稿。
友達1人いない自分がだんだん惨めに感じるようになり…
渡航して1年が経つ頃、この状況に限界を感じ、「帰国をしたい。」と両親に頭を下げ
母と2人で日本へ。
人に囲まれ、楽しく生きてきたはずの自分が
気づけば「人」に心を閉ざすようになりました。
高校時代(編入):クラス全員素直!激レア女子校生活

都内の女子校を受験し、高校2年生から編入!
入学してから知った、校則の厳しさ…
・お菓子禁止
・スマホ禁止
・寄り道禁止
誰もが歯向かいそうなルールですが、反抗する人はゼロ(笑)
少女漫画のようなキラキラ青春!とはかけ離れていたものの
クラスでは一切いじめもなく、悪口すらない。
それくらい純粋で素直な人たちが集まる高校生活でした。
編入ということもあり部活動には入りづらく
帰宅して塾に向かうか、家で午後ドラを見たり。
当時はインスタが流行し始めたタイミングで
何気ない写真を投稿したり、youtubeでアイドルや歌手を見るのが楽しみでした。
高校生活最終日は、親御さんたちが作ってくれたお弁当を全員で一緒に広げて、
写真を撮りあうような温かい人たちに囲まれてました。
大学時代:第二の青春!将来は〇〇になる!
東京の私立大学に入学。
野球サークル(マネージャー)に入ったことをきっかけに、六大学野球の観戦に。
そこで知ったのがビール売り子。
球場でビールサーバーを担いで歩き回り、お客様に販売するバイトです。
今まで習い事や人生の選択を、なんとなく親のレールに従ってきたものの
初めて自ら「やりたい!」と思えて本気で取り組んだこと。
笑顔を振りまく輝かしい裏側で
汗水垂らしながら、売り上げというシビアな世界を知ることになります。
最初2ヶ月は40人中下から2番目。
これまで、ある程度のことは平均以上にできたのに…とかなり苦しみました。
・何しても売れない
・売れないから樽は重い、肩は痛い
・同期が生き生き働くのが羨ましい、悔しい
帰宅してから、何度も泣いた記憶があります。
そこからこのままでは嫌だ!と思い、徹底的に分析や改善、そして続行。
結果初年度の終わりには内野1位。
翌年には全体で1,2位の売り上げを記録。
頑張った分だけ給料も上がり、応援してくれる人も増え、自分には天職だ!
と思っていました。
他にもこんなアルバイトを経験↓
・飲食チェーン
・フードデリバリー(ウーバーのような仕事)
・某有名な遊園地キャスト
扶養も軽々こし、ただただ「働く楽しさ」を知った大学生活でした。
そこから就職活動が始まり
「人の人生が豊かになるエンタメの仕事に就きたい」
「今度は人のサポートをしてNo.1に連れていきたい」
と思うように。
売り子、ゼミ長など、バイタリティとコミュニケーション力で
就活は困らず何社か内定!
社会人:希望だった「華のエンタメ」業界へ

第一希望だった大手芸能事務所に見事入社!
内定の電話をいただいた時は
華やかな世界に自分も入れる!
そんなワクワクした感情は今でも忘れられません。
新卒:憧れの芸能マネージャーに!

女優,モデルの担当に。
ドラマや映画撮影はもちろん、1ヶ月に一度海外出張があったり
とにかく刺激的で1日が秒で過ぎていく毎日。
今思えば
物事をきっちり詰めていくこと、先周りして動くこと、気配り、礼儀など
1つずつ身についたのは、この時代があったからです。
(お偉い方とタクシーに乗る時、自ら進んで後部座席の奥に乗ってしまうような
ポンコツ新入社員でした(笑))
尊敬する上司のもと、やりがいのある生活だったものの2年が経った頃…
ふと
もっと寝たい。休日は連絡なしで自由に遊びに行きたい、旅行にも行きたい。
ただただ普通のOLの生活を味わってみたい。
そんな気持ちが勝ってしまい退職を決意。
終電帰宅はもちろん、週1の休みは寝るor夕方からご飯に行くだけの生活でした。一般企業の友人の誘いは、断りすぎて誘われる回数も徐々に減って行くように。
2社目:ホワイトだけど…
転職先は前職でもお世話になった映画配給会社。
10-19時の定時退社、土日祝休み。
仕事内容は
映画のweb媒体向けにリリースを作成(新作映画のニュース)や
映画ライターさんへの営業。
定時退勤していく社風だったため、毎晩ヨガに行ったり、夜ご飯を作れる生活。
普通に考えれば「幸せな生活」ですが、これまで仕事漬けの人間です。
映画を1日1本見ても、寝るまで時間が有り余る。
なんか暇だな。副業もできないし。物足りない毎日…。
会社は同年代がおらず、叔父叔母世代の年配層ばかり。
最高なワークライフバランスだったものの
働くことへのベクトルが狂ってしまっていて
果たしてこの働き方でいいのかな?と感じ、半年で退職。
私は忙しい方が好き!
やはり自分はマネージャーに戻るしかない!そう思いました。
3社目:配属ガチャ失敗で早期退職

転職先は、別の芸能事務所。
今度こそ理想のキャリア!思い切り働くぞ!と意気込んでたもの
完全に配属ガチャ失敗。
入社初日から、目の前で「ほんと使えないよね」「頭悪」などパワハラ、悪口三昧。
デスク越しのその光景を見て
そこにいつか自分も染まってしまうのではという恐怖。
アレルギー反応かのように、この環境にいたくない!という拒否反応が初日に出て
2ヶ月で早期退職。
一刻も早くこの環境から抜け出したい!と思い、すぐ転職活動を始めました。
4社目:目標を見失い、勢いで退職

知人の紹介で芸能事務所に転職。
俳優の担当として、とにかく毎日早朝から深夜まで現場の日々。
でも、そんな大変さを楽しいと思えるほど、とてもいいチームに恵まれました。
仕事も任せてもらえる、どんどん担当の知名度も上がる。
そんな素晴らしいタイミングを経験。
担当替え最終日の現場終わりに涙が出てしまうほど、本当にやりがいしかなかった日々でした。
でも
入社1年半が経ったころ、突然のチーム替えで状況が一変。
(組織あるあるですよね。)
・上司からの早朝深夜のパワハラ電話
・評価制度には「自己評価が高い」と言われ、実績に×を書かれる
・売り上げも上がっているはずなのに謎のボーナス減額(笑)
裁量もなく、ただただ言われたことを右から左だりに流すだけ。
とりあえず自分のミスでなくても「すみません」と謝り続ける。
私って何がしたくて働いてるんだろう。
「あなたのステップアップのための異動」と言われたものの、もはやステップダウンしている。
半年考え「やりがい」がわからなくなり退職を決意。
最終出社日が近づくにつれ、上司からの圧も強くなり…
ホルモンバランスも崩れ、毎晩発汗で全身びっしょり、ストレスがMAXに到達し
蕁麻疹も出るように。
引き継ぎも終わったタイミングで「これはもう限界かも。」と思い、退職日手前にして
備品と置き手紙だけ会社に置いて無断退職へ。
今思えばおそらく鬱手前。真夏なのに、オフィスで手足が冷たくなってきて
頭の中では悪循環しか考えられない状況に。
ニート時代:スキルなし=年収100万マイナス?!

「もう芸能はいいや」と思いつつ、エンタメ以外考えたことがなく、やりたいこともない。
働くことが大好きな私は、有給2日目で転職活動に動き出します。
社会人歴5年半で転職4回=社会的な見え方は最悪
これは転職エージェントに相談した方がいいよな、、と思い申し込みました。
そのミーティングで言われたことは
「異業種なら年収マイナス100万円スタートですね。」
あんなに働いたのにスキルがないだけでそこまで下がるの?という衝撃。
数値で出せるような業界ではなかったため
私には営業で〇件といった実績や社内表彰などありません。
・30歳手前で次の転職は失敗できない。
・結婚もしたい、子供も欲しい。
・今の生活水準を落とせない。
でも同業への転職だと、忙しくて将来独り身の可能性大。
そんな思いでぐるぐるしていた頭の中でふと思いついたのは
「だったら、マイナス100万を副業で稼いで取り返す」でした。
失業保険を申請している6ヶ月で職業訓練に行くのではなく、自宅で副業の基盤を作って異業種に転職する!
副業も何から始めればいいかわからず、SNSをありとあらゆる手で調べ尽くしました。
そこで出てきたのが
SNSインスタ運用代行/webマーケティング。
その言葉に出会ってから、私の人生は一転します。
どのように学んだかなどの具体的ステップは今後の投稿でご紹介します!
現在:フリーランスとして独立!

本気でインスタ/webマーケを学び、結果3.5ヶ月で40万円を達成。
本来は副業の基盤を作って、後に企業に転職しようという予定でしたが
今は新たな夢もできて、その夢のためにフリーランス1本で生きていく道を選択!
フリーランスは会社員と違って、頑張った分、給与は青天井。
働く人も、働く場所も、働く時間も好きなように選べる。
今は友人からの誘いも断らずに行けたり
逆算してタスクを終わらせ全力でプライベートも満喫!
そして経歴への不安を気にせず伸び伸び働いています。
最後に

いかがでしたか?
私と同じく
・結婚や出産への希望を持ちながら、人生のキャリアで悩んでいる人
・転職歴が多くて今後のキャリアが不安な人
・フリーランスに憧れるけど何からすればいいかわからない人
そのような方に
1つの選択肢としてフリーランスが存在すること
webマーケを正しく学べば、今の給料だって超えられて理想の働き方を手に入れられる。
このブログを通して
あなたの一歩を後押しできたら嬉しいです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!